大判例

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最高裁判所第三小法廷 昭和53年(あ)1697号 決定 1979年4月27日

本店所在地

東京都新宿区新宿一丁目五八番地

栄興土地開発株式会社

右代表者代表取締役

車谷弘

本籍・住居

千葉県夷隅郡大原町大原八七一七番地

会社役員

車谷弘

大正四年六月五日生

右の者らに対する法人税法違反各事件について、昭和五三年八月三〇日東京高等裁判所が言い渡した判決に対し、各被告人から上告の申立があつたので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件各上告を棄却する。

理由

弁護人藤田一伯の上告趣意のうち、判例違反をいう点は、原判決の認定にそわない事実関係を前提とするものであり、その余は、憲法三一条違反をいう点もあるが、その実質はすべて単なる法令違反、事実誤認の主張であつて、いずれも刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

よつて、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 江里口清雄 裁判官 高辻正己 裁判官 環昌一 裁判官 横井大三)

昭和五三年(あ)第一六九七号

被告人 栄興土地開発株式会社

同 車谷弘

○ 弁護人藤田一伯の上告趣意(昭和五三年一一月三〇日付)

原判決は以下に述べるとおり法人税法第一五九条における「不正の行為」につき最高裁判所の判断と相反する判断をしていて、その結果憲法三一条違反があり、且つ判決に影響を及すべき重大な事実誤認があつて、これを破棄しなければ著しく正義に反すると考えるので慎重審理を願いたく本件上告趣意書を提出する。

一、判例違反について

最高裁判所昭和四二年一一月八日大法廷判決は、物品税逋脱に関するものであるが「詐偽その他不正の行為とは逋脱の意図をもつてその手段として税の賦果徴収を不能もしくは著しく困難ならしめるようななんらかの偽計その他工作を行行なうことをいうものと解するのを相当とする」とし、従来の判例が 脱罪の成立要件につき詐偽その他不正の行為の手段が「積極的」に行なわれたか「消極的」に行なわれたか外形的に求められたのに対しより実体的な判断基準を示したものとされている(板倉宏、別冊ジユリスト33続刑法判例百選、一九五頁参照)。つまり、「逋脱を目的としてその手段として物品移出の事実を別途手帳にメモして保管しながら正規の帳簿にはことさらに右事実を除外して記載し、他に右事実を記載した帳簿もなく納品複写簿等によつても右事実がほとんど不明な状況」になつていたことをとらえて、申告書に「記載かつ右行為をなすに至つた正当な理由が各々あるにもかかわらず、単に右行為が外形的に逋脱に用いられる常套手段であるという一般論をもつて実質的検討なしに法人税法一五九条にいう 脱意志に基く偽りその不正の行為にあたるとすることはできないはずである。

原判決は、「不正の行為」の意義については、右最高裁判所の判断に従うべきであるとするところ、結局第一審判決も右最高裁判所判決と同じであるとし、第一審判決が「帳簿が整備されていないという経理状況の下での無記名定期預金の設定、他人名義の土地取候、無申告行為を全体として不正行為としてとらえていることは明らかである」(原判決三丁表)と結論をそのまま支持しても右最高裁判所の判断と異なるものではないとする。

しかし、このような原判決の判断は、本件無記名定期預金の設定及び第三者名義の土地取得行為が外形的に逋脱の一般的常套手段であることを前提とし、被告会社が休眠会社買収により出来たこと及び設立まもない一人会社のため帳簿類が整備されていない経理状況であつたことをも包括して、形式上逋脱の要件が揃つたとしてその内容実質を究明せず「法人税逋脱の手段としての被告会社の資産を隠ぺいし、その所得金額の捕捉を著しく困難ならしめる行為」(原判決九丁表)あるいは「被告会社に対する法人税の賦課徴収をいちじるしく困難ならしめる行為」(原判決一一丁表)であるから「不正行為」にあたると判断を下しているものであつて、審理不尽は勿論、右最高裁判例違反を犯しているものである。以下右各点を検討する。

二、事実行為についての検討

(一) 被告人の逋脱意思

まず第一に、原判決の被告人の法人税逋脱の意図が昭和四七年八月頃休眠会社栄興建設株式会社を買取つた当時既に存在していたとする。「被告会社の登記簿上の本店所在地には事務所等はまつたくなく、仕事をしていた北海道恵山地区においても同業者の事務所内に簡単な連絡場所を設けていただけであり、所得申告しなくても税務署から発見されることはありえないと考えており積極的に申告する意思は当初から持つていなかつたことが認められる」(原判決七丁裏~八丁裏)。あたかも、休眠会社を買取るのではなくして会社新設という形で法人組織をもつたならそこは法人税逋脱の意図はうかがえないであろうという論理であり、休眠会社の買収自体が奇怪な方法であるとする第一審判決と全く同様の見解である。

しかし、大規模な土地買収を行なおうとする時、その売買交渉にあたり個人名で行なうより法人組織として行なつた方が交渉がいくらかでも有利に展開するであろうことは誰でも予測できることであつて、既に売買交渉の下準備をしていた被告人にとつてはそのためには会社新設の方法であろうと休眠会社の買取りの方法であろうとすぐに手に入ることが希望条件なのであつて、被告人が会社新設ではなく休眠会社を買取ることにしたのは、その休眠会社の元社員である知人の藤村昌樹より買わないかと持ちかけられ登記等の手続は全部してくれるというのでその話にのつたまでのことである。

右会社の登記が済んだのは昭和四七年一〇月九日であり、北海道の土地買収の話がついた一二月初めよりわずか二ケ月前のことである。この頃被告人は、被告人にとつて初めてというべき大きな利益が見込まれる土地買収の仕事にかかりつきりで頻繁に北海道を訪れていた時であり、このようなあわただしい中で法人組織が出来上つた訳で、このため帳簿類が不備であつたり連絡場所を置かなかつたりしても被告人は気にとめなかつたというのが実情であつて、原判決の「所得申告しなくとも税務署から発見されることはないと考えており、積極的に申告する意思は当初から持つていなかつたことが認められる」――つまり、被告人には当初から逋脱を意図していたとするこの論理は、当時の被告人らを取りまく状況に目をつぶつて、後に述べるようにその任意性が疑われる被告人の供述調書のみをその根拠としている所に生じたものである(休眠会社を買うと何故逋脱の意図をもつたことになるのか合理的説明が全くなされていない。世間では設立費用やそのための期間を省くため休眠会社の売買は非常に多い)。

本件無記名定期預金の設定についても、銀行から融資を受けるにあたつての担保とするという意図があつたと共に、他方被告の「無記名にしておけば外からは誰の預金かは分らないことは都合がよい」、「私としても税金はなるべく少い方がよいという気持で無記名にすれば他の人や税務署に知られないですむと思い無記名にした」という供述から、また第三者名義の土地取得については、被告人の「被告会社の利益を現金でなく不動産に形を変えて蓄積しておこう、妻の名前にすれば会社の利益が外からはわからなくなるとの考えを持つた」との供述を根拠として逋脱の意図があつたとしている。しかし、以下に述べるように、本件無記名定期預金の設定・第三者名義の土地取得行為の動機、用いられた手段方法をもつて判断するならば、右行為が逋脱を目的として用いられた手段であるとはいえないはずであつて、原判決の判断は被告人の供述調書(しかもそれはその任意性が疑われる)のみをその判断の根拠としたもので他に客観的裏付けのないものである。

(二) 無記名定期預金の設定行為

本件無記名定期預金を設定したそもそもの目的が、本件預金を担保として自己の営業活動の資金のために融資を受けるためであり、かつ無記名としたのは銀行側の申入れによるものであることは第一審及び原判決も認める事実であつて、これを否定することはできない。

右無記名定期預金の設定により被告人の期待通り五千万円の融資を受けられたかどうかは別として、ともかく融資の前提条件として銀行側から定期預金の設定が必要といわれ、融資が個人宛になるのか会社宛になるのか不確実だからという理由から銀行側の言うまま本件無記名定期預金を設定するに至つたことは、事業家として全く合理的な経済的目的にかなつた行為である。確かに無記名定期預金はその帰属主体が明らかではないため資産隠匿の意図があるのではないかと疑われるおそれは十分あるが、だからといつて被告人のとつたこの正当な経済的目的のある行為を不正行為だとすることはできないはずである。

本件無記名定期預金設定当時の被告会社の事業状況について、弁護人は控訴趣意書二(二)において「当時被告会社は単に土地買上げに協力するだけではなく独自に営業活動を展開すべくより大きな活動資金を必要としていたのであり、この段階においては会社資金の積極的運営のみが要求されていたのであるから、こうした積極姿勢と逋脱という逃避的消極姿勢とは明らかに矛盾しその共存はありえないはずである」と主張したが、原判決は「会社が積極的な営業活動をし、資金の積極的運営をはかる一方、資産を隠ぺい、備蓄することはありうることであつて、けつして共存しえないことではない」(原判決四丁裏)として合理的理由も挙げずに弁護人の主張を退けている。

しかし、被告会社は、本件無記名定期預金を設定したわずか二〇日後である昭和四八年一月九日付にて北海道拓殖銀行函館支店の被告会社名義の普通預金口座宛株式会社香取事務所より借入れ金として二千万円を送金してもらつた事実があり、他人に借金しなければならない程資金が不足するとわかっていながらその直前にあえて二千万円もの資産を隠匿、備蓄するはずのないものであり、かかる状況下における被告人にとつて現実的には積極的運営と資産の隠匿、備蓄は共存しえないものである。原判決は、単に一般的形式論としてその可能性を論じているに過ぎない。

また、その後四八年五月二五日に至り、右定期預金を解約し、うち一五〇〇万円を被告会社名義の預金口座に戻している件につき、原判決は「被告会社の普通預金口座に一五〇〇万円が戻きれる直前の同口座の残高はわずかに二万一二六〇円にすぎず、他方一五〇〇万円の入金がなされてからつぎの入金があるまでの二〇日間位の間に合計一四〇〇万円の引出しがなされている」のは、「単に一向に融資してくれそうにないので立腹して解約したものであるとは解されず、正に被告会社において資金の必要が生じたためにこれを使用したと理解するのが自然なのである」(原判決五丁裏~六丁表)とするが、被告会社においては右に述べた如く資金の必要性は本件定期預金設定の当時から存在していたものであるから(だからこそ融資を申込んだもの)、二〇日間位の間に資金として使用している事実はむしろ当然の成行きであつて、被告会社における融資の必要性を物語るものでこそあれ、本件無記名定期預金の設定に被告人の逋脱の意図を推定する根拠とはなりえず、原判決の解釈は、被告人の逋脱意図の存在を当然の前提とした強圧的独善的解釈である。

そして、三九〇〇万円を引出し、内二〇〇〇万円を本件定期預金にあてているとしても、被告人が土地売買の仲介による手数料四五〇〇万円を受取つた方法は、同じ仲介業者であつた株式会社東昌が四七年一二月一五日栄興土地開発株式会社の預金口座を開設して被告会社の受取るべき手数料四五〇〇万円を入金し、その通帳を仕事仲間であつた香取啓亮より被告人が受取つたのであつたから、被告人が初めて手にした大きな利益をいくつかの使用目的をもつて一度に引出したものと考えられ、被告人の右行動は何ら不自然ではない。

本件無記名定期預金の設定の被告人の意図は右に述べたとおりであり、逋脱の意図るもつてなした偽計、その他何らかの工作にあたるとする原判決は失当である。

(三) 第三者名義による土地取得行為

被告人が岬町の土地を購入した動機は、単に「現在の住居が借地上にあるうえ、家も古く不便なので自分の土地を買つて新しく建てたいと思つて」いたからであり、妻名義としたのは「私が五八才で妻とは年齢の開きがあるので、妻名義にしておいた方が相続の際手数がかからないと思つた」ほか、右売買代金一八六九万円のうち「代金が足りない分は私や妻の兄弟から八五〇万円程借り入れて購入した」からである。

そのために、右購入代金の一部に会社資金をもつてあてており、被告人の妻名義に登記したので会社資産を隠匿しようとする場合と同様の外観を呈しているが、本件土地取得に関する被告人の動機は右に述べたとおりごく単純なもので、かつこれが真意である。

単純な動機だということは、被告人はその後茂原税務署から妻名義にしておくと贈与税がとられると言われて、びつくりして個人の資金を投じた部分はそのままにして一部でよいものを全部の土地を会社名義に変更している事実から、当時被告は税金に関する知識も十分でなく、現に税金のことは全く念頭になかった(即ち逋脱の意図など全くない)と判断されるからである。

それにもかかわらず、原判決は、「帳簿らしい帳簿を備えることをせず、被告会社の資産状態を客観的に把握できないような経理状態の下で、逋脱の認識を有していくつもの預金口座から複雑に預金を移動させたうえ、これを資金として被告人個人の名義で売買契約を締結して代金の一部にあてたことは、被告会社に対する法人税の賦課・徴収を著しく困難ならしめる行為」(原判決一〇丁裏~一一丁表)であるとする。

被告人に被告会社買取りの時から逋脱の意図があり、そのため帳簿らしい帳簿を備えず、あるいは帳簿類不備であるのを利用して複雑に預金を移動させるという手段を用いて資金を調達したのであれば、何故肝心の土地を購入する際に、被告会社代表者であり唯一の社員であつて被告会社そのものともいうべき被告人本人の名前で売買契約を締結するのであろうか。これで被告会社の資産を隠ぺいすることができるのであろうか。原判決は本件土地購入が不正の行為であると認定するにあたつて、何ら具体的な要件事実を示し得ないから、会社を買収したときの意図とか帳簿を備えていなかつたというような遠い間接的な事実まで引き合いに出して強引にその帳尻を合わせているものであつて、全然説得的でなく独善そのものである。

被告会社が休眠会社の買収により出来たものであること、帳簿類が不備であり、そのことが帳簿類備付義務に関する商法違反の行為であることを認めるのに吝かではないが、このことと本件土地の取得とは本来的に何の因果関係もないはずである。それにもかかわらず、これらを関係ある一連の行為だとするところに原判決の無理と誤りがある。

本件土地購入は、自分の土地を得て家を建てたいとする被告人の真意によるものであつて、逋脱の意図ををもつて資産隠匿のためになした手段ではない。よつて、「偽りその他不正行為」にはあたらないものであること明白である。

三、自白調書の検討

原判決は、逋脱意図の認定につき、無記名定期預金の設定の際の意図に関しては検察庁における被告人の昭和五〇年三月六日付供述調書に「無記名としておけば外からは誰の預金かは分らないことは都合がよい」あるいは同年同月三一日付同調書に「私としても税金はなるべく少い方がよいという気時で無記名にすれば他の人や税務署に知られないですむ」等の記載により、第三者名義による土地取得行為の際の意図に関しては被告人の大蔵事務官に対する昭和四九年四月一六日付質問てん末書、同年二月二〇日付、同三月六日付各被告人の供述調書に「妻の名前にすれば会社の利益が外からはわからなくなる」との記載により、また休眠会社である栄興建設(株)を買取り商号変更して被告会社とした意図に関しては同年三月六日付調書に「申告をやらなければ決して税務書に知られることはないと思い、非常に都合のよい会社だと判断してこれを買収し」たとの記載により、これを根拠にして逋脱の意図を認定している。

しかし、問題は、右各自白個書が客観的な前後の事情からして合理的なものなのかどうかなのであつて、原判決はこの点何らの検討なしに、自白を鵜のみにしているのである(そして無記名預金や不動産購入の際の真の客観的目的については、既に前項で述べた通りである)。

しかもこの自白には、その任意性についても問題が多いので、以下この点を検討することとする。

まず第一に、原判決の引用している供述そのものが、通常の人間の一般的認識を得て、あたかも具体的な逋脱の意思があつたかの如く作文されているフシがある。つまり、一般的に無記名であれば誰の預金かはわからないだろう、そして税務署にも知れにくいだろうと問われれば、誰しも然りと答えるに違いない。同様に、税金はなるべく少ない方がよいだろう、そうであるならば無記名にしておけば都合がよいだろうと問われればやはり然りと答えるだろう。そして右の回答を組合せれば簡単に前記引用の供述を作りあげることができよう。

しかも、当初被告人の取調にあたつたのが検察官ではなく国税局事務官であつたため、単に税金上の取調と思い、被告人が確定申告書を提出せず法人税を納付しなかつたのは事実であつたから、そこに逋脱の意思があつたかどうかが重要なことであると考えることなくいずれにしろ税金を支払えばそれで済むという気持で国税局事務官の取調に応じたものであつたから、右のような内容の供述調書を作成することは容易であつたろうし、一旦このような内容の供述書書が出来上つたならば、後に検察庁での取調の際にこれを覆すことは困難であるに相違ない。

加うるに、被告人は、戦時中大陸において飛行中に機体に被弾して墜落し、着地寸前に脱出して奇跡的に命は助かつたものの全身に大怪我を負い、その後数年間抑留されていたため傷は完治せず、以後今日まで、平常歩行に支障を来たすほどの後遺症として残り、そのため一人で歩くことさえできないほとんど病人に近い状態である。このような状態である被告人に対する国税庁及び検察庁による取調は約一年の間合計百回位にも及び右取調が被告人にとつて肉体的・精神的に著しい苦痛を伴つたものであることは想像に難くないのであり、また、右取調の度に運転手を頼んで妻に付添つてもらつて千葉県夷隅郡大原町の自宅より出頭し、取調が深夜までの長時間に渡れば都内のホテルに宿泊しなければならないという経済的圧迫が加わり、取調を早く終えてもらいたいという考えがあり、被告人の供述調書はこのように虚偽の自白を導き出すおそれのある状況の下で作成されたもので、右供述に任意性があるということはできない。

また、原判決は、「被告人は原審第一回公判において公訴事実を全面的に認める陳述をしている」(原判決七丁表)とするが、被告人は公訴事実中、無記名定期預金を設定したこと、被告会社の資金を用いて第三者名義で土地を取得したこと及び法人税確定申告書を提出せず、結果として昭和四七年度の法人税を免れたなどの外形的諸事実を認めただけのものであり、被告人及び弁護人は一貫して逋脱の意図を否認しているものである。

四、結論

第一審判決でも原判決でも、無記名定期預金の設定及び個人名義の不動産取得そのものだけでは最高裁判例でいうところの不正行為だとは認められないからこそ、休眠会社買収や帳簿不備の点まで包括して「全体として不正行為」としたのである。真実、最初から逋脱のために休眠会社を買収したのであれば右結論は妥当なものとなるかもしれないが、もともとそうでないとするならば右論理は成立しないことは明らかである。

結局、問題は「休眠会社の買収」行為に対する解釈である。これについて第一審も原審も余りにも認識不足であるように思われる。もう一度繰り返して言うならば、例えばある市民が資本金三千万円の会社を設立せんとするには、当然資本金となるべき三千万円と登録免許税二一万円及びその設立事務費用約三〇万円、合計三〇五一万円もの資金が必要である。これを新設に代えて休眠会社の買収方法によれば、この会社は資産が零であるからその株式の価値は全くなく、結局登録免許税及び設立事務費用の合計額程度で、資本金三千万円の会社の経営者になれるのである。

十分な資金のない者が右の話を聞けばこれによつて会社経営者にならんとするのは当然の成行きであって(被告も例外ではなかつた)、決して「奇怪な行為」でも何でもないのである。

帳簿不備の方も、一人会社で事務能力不足及び事業開始後間がなかつたことによる結果に過ぎない。

以上のように考えるならば、休眠会社の買収そのものが逋脱の意図によるものとか、これに無記名定期預金設定や個人名義の不動産取得を結びつけて全体として不正行為だとすることが、いかに的はずれで、間違いなものであるか明白である。

然る以上、原判決の如き逋脱の意思や不正行為に関する解釈と適用は最高裁判例のいう逋脱要件を形骸化、拡大化していることであつて、最高裁判例違反であること明白であるばかりでなく、罪刑法定主義を定めているといわれる憲法三一条に違反することになる。

以上

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